2020.4.1(水)「正解」がひとつ
夜の社交場には人身御供を求めて、
片や接触の機会を減らすという科学的根拠に基づいた自粛要請。
要請止まりなのは、
日本の法律がその程度しか決まってないだけの事。
外国と同じ事が日本の法律では行えないという事を、
棚に上げて
「緊急事態を出すべきでは?」
という左側の申す様が滑稽でならない。
外国並みの法律には反対するくせに、
滑稽。
「行政がどうにかしてくれる」
「行政がどうにかするべき」
って、
所詮は他人任せ。
行政も、
それだけの金もらってるんだから、
腹を決めろや。
他人任せの馬鹿も、
己の責任で判断しろや。
他人の足をひっぱるなや。
実は既に大変な事になってるという事を、
認めた上で、
何がベストなのか考えろ。
「ベスト」な中には、
己の犠牲も含んでるという覚悟、
出来てないヤツは甘ちゃんだから相手にしない。
そもそも世の中なんて、
正解より不正解の方が多い。
そんな小数の正解のひとつに、
「何も生まない人身御供を求めると、自分の不安が解消する」
がある。
自分や他人や世の中がとーなろうとも、
「それていい」のなら、
それは正解。
俺はそんな正解なんかいらないし認めないけどね。
人は皆「自分だけが一番大事」だけど、
それを通用させたいのなら
「それで何があっても自分のせい」
も受け入れるのが正解。
「自分はいいけどオマエはダメ」とか
「このくらいはいいだろう」とかは、
不正解。
不正解が通用するのは、
「オマエさんが正しい」のではなくて、
誰がが犠牲になってるだけの事。
誰かの犠牲の上で己が成り立ってるなら、
それを公言してひはんもリスクも受け入れればいい。
それが正解と思うなら、
覚悟を決めろや。
魔法や超能力なんで、この世には無いんだからね。
(ヾノ・∀・`)ナイナイ