駅構内で電車にはねられて亡くなった認知症の家族に、
鉄道会社が監督責任は家族にあると求めた裁判。
最高裁判決は
「この家族の場合は監督責任はない」
「家族であるというだけで無条件に監督責任がありものではない」
「監督責任の有無は介護の状況により判断する」
というもの。
妥当だと思う。
物理的に管理監督が不可能な介護の状況ってのがあるから。
この先は魔法か超能力でも使えない限り対応不可能な介護の状況がどんどん増えてくる。
経験した者じゃあないと分からない現実が、既にもうそこにある。
ネットの知識だけで知った気になって吠えてる無行動で無責任で無知な者の意見は、
現実の前では邪魔でしかない。
国に予算が無いからとの理由で自宅介護に重きを置こうとしている現段階では、
こういう「物理的に対応不可能な介護の状況」が起こす不幸な出来事は、
行政や公共的な団体が責任を持って対処していくしかない。
鉄道会社は、公共交通を担う公共的な団体のハズ。
都合のいい時だけ「いや、我々は民間企業なので」はむしがよすぎる。
そりゃあね、魔法か超能力が使えれば、そんなむしのいい言い分も通用するんだろうけれど、
今ある現実には通用しない。
裁判で答えも出だし。
その上で、俺は在宅介護重視の考え方には賛同出来ない。
無理な事って絶対にあるんだから。
俺は認知症で暴れる親父に腕力で対処して、
無理矢理老人ホームに入れて、
最終的には精神病院に入れたから、
無理な事がある事を知ってる。
もうすぐ馬鹿親父が亡くなって2年経つけど、
未だに馬鹿親父の呪縛からは解き放たれていない。
だからこの裁判は気になっていた。
現実に苦しむ人には、光となる判決に、
チョットだけ気が休まった気がする。