今宵も中島みゆきのニューアルバム「真夜中の動物園」を聞いている。
相変わらず「happy」などという言葉からは最も遠い内容の歌詞だが、
なんでこんなに心に響くのかというと、
ラブソングの恋愛観やら反骨的な曲の人生観やらが俺にピッタリくるからだ。
例えば恋愛観。
会いたい人は、
もう、そこにはいない。
会える人は、
それ以上にはなれない。
会いたいと言ってくれた人は、
俺が、その気持ちに応える事が出来なかった。
会えるだけでよかった人は、
俺の気持ちなど知る由もなく幸せになった。
会えたらいいなあって思った人は、
単純に縁がなかった。
縁あって巡り会えた人は、
腐れ縁だけが続いてる。
互いに初めて出会った人は、
若さ故に終わる。
最も会いたかった人は、
俺との時間の全てを否定して去っていったのだから、
この先に縁などあろう筈もない。
これら全ての時間を足そうとも、
人生の半分以上を付き合っているバイクとの時間には遠く及ばない。
バイクは人のように心変わりや裏切りや拒絶をする事はしない。
俺の方が変わったりしない限りは、決して別れる事はないだろう。
人と別れて死のうと思った事は一度もないが、
俺にその気がなくともバイクは命を絶たれる事がある。
俺でもなければバイクでもない、
全くの第三者の気持ちや行動で命を絶たれる事がある。
それでもバイクに乗り続けるのは、
殉ずるだけの価値があるからだ。
性欲や食欲を満たす時の快楽とは違う快楽が、
バイクにはあるのだ。
その快楽は、
俺が変わらない限りは続いていけるものなのだ。
人の心変わりや行動に左右される事がなく、
自分次第で満たし続けられるのだ。
もっとも命がある限りの事だけどね。
相変わらず独りぼっちだけど、
命ある限りと思い続けながらバイクに乗り続けて、
今月でもう22年も経ってしまった。
俺にとって「バイクに乗り続ける」という事は多分、
「この先も独りぼっちでバイクに乗り続けていく」という事なのだろう。
何故なら俺の中には「寂しさ」という恋愛観と、
「バイク乗りである」という人生観しかないからだ。
恋愛観も人生観も、
まるで俺をモデルにして書いたかのような歌詞だから、
中島みゆきの歌詞は俺に似合ってる。
今回のアルバムも、
そんな歌詞ばかりだ。