数日前の朝日新聞の朝刊に、
発達障害や適応障害の子供に学校はどう対応するべきか
みたいな記事が載ってた。
その記事の小見出しに
「出来ない≠努力しない」
というものがあった。
記事の内容は
「物事を普通におこなう事ができない子供はいるのです。出来ないイコール努力しない、ではないのです。努力しない事を責めるのではなくて、いいところを伸ばしてやるのが学校のする事ではないでしょうか」
みたいな事だった。
確かにその通りだと思った。
ましてや「おこなう事が出来ない」原因が先天性の障害であるならば、
それは医学的に事実なんだから認めなければならないと思う。
学校なら、ね。
大人になって、
社会に出て、
労働を提供して賃金を頂く場であるなら、
それは学校とは異なると思う。
たまに日記に書く「出来ない後輩」の話なんだけどね。
誰でも出来る事が出来なくて、
仕事覚える努力も出来なくて、
言われてる事も理解出来なくて、
「言われた」というエピソードも覚えられなくて・・・、
彼に判断させるとリスクやコストしか生まない。
学校なら教育すればいいのだろうが、
仕事じゃコレはダメなんじゃないのかなあ・・・と思うんですわ。
じゃあ障害ある奴は社会に出ないで小さくなっていればいいのかっていうと、
それは全然違うんだな。
「おこなう事が出来ない」原因が、
障害だろうが先天性だろうが後天性だろうが、
能力が有ろうが無かろうが、
物覚えが良かろうが悪かろうがね、
やる気さえあれば、
努力さえしていれば、
例え結果が伴わなくてもソレは認めるべきだと思うんです。
やる気を持ったり努力さえしていれば、
全てにおいてマイナスって事はないと思うんです。
必要最低限の仕事を求められる場面でリスクやコストばかりって事はないと思うんです。
その出来ない後輩が障害かどうかは分からんけど、
彼に新しい事を生み出す能力は無いと思う。
一言でいえば「向いてない」。
俺も周りも彼に付き合ってあげる余裕なんかないから、
彼がレベルアップしてもらう以外に現状が変わる事はないんだよね。
レベルアップといっても、
彼に期待出来るレベルなんてせいぜいプラマイ0なくらい。
でも彼がプラマイ0になるのに俺や周りが100や200もコストかける訳にはいかない。
仕事だから費用対効果は考えないといけない。
俺だって費用対効果の範囲で賃金貰ってるんだからねえ。
腹立てても何も変わらないけど、
正直腹立たしい(-"-;)