2015.7.13(月) いじめ、昨日の日記の追記
いじめられる側に、
「立ち向かう勇気」や
「立ち向かえる能力」や
「一緒に立ち向かってくれる仲間」がいれば、
立ち向かうべきだと思う。
勇気も能力も仲間も無ければ、
逃げるべきだと思う。
この場合の「逃げる」は、そんな学校なんかには行かないって事。
小中学校なんて義務教育なんだから、
いじめが原因で通わなくなっても卒業させられちゃうんだから。
高校なら、
通わなくても別途高卒資格を得る事が出来るし。
(ちなみに俺は高校は通信制卒)
逃げるのは「負け」じゃあない。
でも、
自ら命を絶つのは「負け」。
で、あると共に、
「勝った側(いじめた側や学校側)」は
他人事・過去の事・無かった事にする事が出来るので、
第二第三の被害者が生まれるだけ。
教師や学校は弱者だと言えない事はない。
少なくとも強者じゃあない。
「権力のある弱者」とでも言おうか。
所詮は公務員、
批判を浴びたり責任を負わされるのは避けたい立場。
いじめに対応する能力もないんだから、
「一緒に立ち向かってくれる」とか求るのが間違ってる。
いじめが警察沙汰になったら、
捜査の邪魔をしたり加害者側を守る能力しか無いんだから、
教師や学校側にいじめの対応を求める事が、
そもそもいじめだね。
能力無い奴に能力以上の事をやれって強要するのは、いじめでしょ。
まあ弱者を責めれば気分が晴れる奴等は
いじめには「良いいじめ」と「悪いいじめ」があって、
教師や学校側を責めるのは「良いいじめ」と思ってるだろうね。
いじめを無くす事が目的じゃあない。
昨日も書いたけど、
手段が目的になってるだけ。
自慰行為に等しい。
公務員責めたってなーんにも生まない。
無駄な事。
意味がない。
もう一度書くが、
悪いのはいじめた奴等。